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串茶屋民俗資料館

串茶屋民俗資料館
串茶屋民俗資料館
串茶屋民俗資料館

北陸道随一の花街として栄えた 串茶屋の歴史を知ろう。

玄関は狭いが中は立派

玄関は狭いが中は立派

江戸時代の初め、加賀藩と大聖寺藩のちょうど境目にあった串村には一里塚が築かれ、その付近で2軒の茶屋が営業を始めた。北国街道を行き来する旅人や、街道整備の人夫たちを接待するためだった。それが、串の出村「串茶屋」の始まりだ。
 その後、加賀3代藩主前田利常公が小松に隠居し、那谷寺の再興にとりかかると、そこで働く職人たちが串茶屋に立ち寄るようになった。そのため婦女による給仕が盛んになり、廓としての営業の許可状も与えられたという。17世紀中頃のことである。
 当時は加賀藩内唯一の公認遊郭だったそうだ。有名な金沢の西・東の茶屋街は19世紀初めにつくられたものだと言えば、串茶屋の歴史的価値がわかってもらえるだろうか。
 加賀藩では遊郭禁止の政策を打ち出すこともあったが、串茶屋は1660年に大聖寺藩領に移されたので、以降は大聖寺藩公認の廓として営業が続けられたようだ。なんでも、大聖寺藩のお殿様も通っていたそうな。
 最も栄えたのは文化・文政の頃(19世紀前半)で、20軒ほどの茶屋が軒を連ねていた。その頃の串茶屋は、文人墨客が遊ぶ文化サロンといった趣を呈し、北陸街道一の不夜城として賑わっていた。遊女たちは、三味線や胡弓、笛、舞踊などの芸事をはじめ、俳句や和歌、生け花、茶の湯なども習い、その教養と気品は京都の島原さながらだったという。
 明治になって公娼制度が廃止され、また国道筋での営業禁止などもあって、明治33年(1900年)に、串茶屋の廓は約300年にわたる歴史の幕を閉じた。

町内会が運営する資料館。 切なくも、見ごたえあり

天井画「雲龍」のある客殿

天井画「雲龍」のある客殿

「串茶屋民俗資料館」ができたのは平成7年。茶屋街の貴重な歴史を風化させてはならないと、串茶屋町内会の人たちが資金を出し合い、管理・運営している。
資料館の建物は、かつて能登屋という酒造家の客殿だったもので、茶屋街が大いに栄えていた1829年の建造。欄間や襖などの造作に見るべき所が多く、中でも天井画「雲龍」は加賀藩お抱え絵師・佐々木泉景の手によるもので、これを見るために訪れる人も多いとか。
明治天皇の北陸巡行の際には、御小休所(おこやすしょ)としても使われたという由緒ある建物だ。
 
展示されているのは、遊女が書いた手紙の写しや、使った化粧道具やクシ、たばこ道具、楽器、高下駄などで、彼女たちの息づかいが聞こえてきそうなものばかり。
また、身売り証文や、年季明けを願って奉納したという狛犬などは、見ていて切ない。
展示室にはその他、500年以上前からこの地で焼かれていたという「串焼」の壺や、漢詩の書かれた蘭引(らんびき、蒸留器)など、民俗学的に面白いものも色々ある。

この資料館から500mほど東側には、全国的にも珍しい「遊女の墓」(平成21年に小松市指定文化財に指定)がある。合わせて訪れたい。
アクセス

■駐車場
10台

基本情報
住所
〒923-0966 石川県小松市串茶屋町甲30
TEL:0761-43-0434 FAX:0761-43-0434

■営業時間
09時00分~16時30分
閉館時は入口に掲示している電話番号へ連絡
休日:12月26日~1月9日

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